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答えの難しい問題

2011年05月11日 雑記
3月半ば。
震災から5日ほどたった頃、知り合いのブログにある記事が載った。
物資不足のせいで、ある市で、ある不幸なことが起こったという。
それを現地の人から、メールで知らされたというのだ。

俄かには信じられなかった。
その「ある不幸なこと」が、あまりにショッキングな出来事に感じられたからだ。
すぐに、ネットで信頼できるソースを探した。
ニュース記事にもなっていないし、その後、数日しても、それを報じるメディアはなかった。

当時、「この情報はデマの可能性が高い・・・」と思って、知り合いにその旨を伝えようとも思ったが、
あまりに必死にその「ある市」の状態を心配している姿に(事実、物資不足で大変困窮していた)
言い出すことができず、放置してしまった。

4月半ば。
当時の情報も、検証され、整理されたはずだ。改めて検索してみた。
案の定、その情報がデマであったということが、信頼できるソースで確認できた。
また、その市でそういう出来事があったというニュース記事は確認できず、
取り扱っているのは「拡散希望」の個人のブログやTwitterばかりだった。

4月末。
知り合いのブログを確認したが、記事に訂正は入っていなかった。
もう、ひと月半も経っている。言い出してもいいだろう。
会う機会があったので、恐る恐る、件の情報はデマだったみたいだよ、と言ってみた。
知り合いは「知っている」と答えた。
なら話は早い。
「訂正を入れたほうがいいんじゃないかと思うんだ」
「でも、この情報は現地の人から貰ったから、その人に確認してからにしようと思っている」
「なら、せめてその旨を書いておいた方がいいと思う」
「でも、実際あの市は、そういうことが起こりうる危機にあったんだ」

絶句した。どういえばいいかと、思い悩んでしまった。
理由がどうであろうと、訂正か或いはただし書きを付けるべきだと、私は思った。
今もそう思っている。
ましてもう、ひと月半も経ったのだ。
「起こりうる危機にあったんだ」なんていう言い分は、理由にならない。
そのあと、もう一度考えをまとめてメールをした。

 例え危機的状況を救うためであっても、デマの拡散はいけない。
 情報が、事実であると信じたのなら、なおさら、
 拡散するのではなく、関係機関に連絡すべきだ。
 不幸なことが起こった具体的な場所(避難所の場所)などを確認し、
 市や県の担当部署に通報したほうが、具体的な対策に繋がる。

そういったことを判りやすく解説してあるサイトを紹介した。

当時から「良かれと思ってもデマの拡散はいけない」と言われていた。
不安を煽ってパニックを招く。それが風評被害の発端にもなる。

それから、以下のような趣旨のことを、私の考えとして書いた。

 それでも、「あれは役に立った『いいデマ』だ」、と言う人がいるかもしれない。
 だが、『いいデマ』と『悪いデマ』を、どうやって見分けるのだろう。
 自分のモラルを、そんなに信用していいのだろうか。

 私には「ある市でこんなことが起きたから物資を送って!!」と拡散することと、
 「あそこの県の野菜は汚染されているから食べないほうがいい!!」
 と拡散することの、違いが判らない。
 なぜなら、「野菜を食べないで!!」と言っている人もまた、
 それが正しいと信じ、良かれと思って言っているのだ。
 この風評被害の発端と、どんな違いがあるのだろう。

あのときデマ情報を拡散した人は、その根拠となるものを確認しなかった。
事実を確認せずに情報を流してしまう下地があるのだ。
次に「あの野菜を食べるな!!」と言い出さないといえるだろうか。

知り合いから返事が来た。
「そうですね。疑わしきは、載せるべからず」
 
そして5月の今日。
知り合いの、例の記事には、訂正も、ただし書きもない。以前のままだ。

「情報をくれた現地の人に確認をしていないから、そのままにしている」
と言うのだろうか。
それとも、この記事のことをすっかり忘れてしまったのだろうか・・・。

前者であれば、「疑わしきは載せるべからず」と言ってくれた
その言葉は何だったのだろう。
後者であれば、当時、あんなに必死にあの市を心配していた気持ちは、
たった2か月で忘れてしまうほどのものだったのか。

知り合いは当時、その市のガソリンや食料の販売状況などを、
現地の人向けにブログに載せる、ということもしていた。
その情報の信憑性を、下げることにもならないか・・・。

どうしたらいいんだろう。訂正するよう、もう一度言うべきだろうか。
みんなならどうするんだろう。見て見ぬふりをするのだろうか。
私ももう、知らないふりをしていたい。
「実際そういうことが起こりうる危機にあったんだ」と言われたときの、
つまり、「訂正なんかする気はない」と言われたときの、
何とも言えない脱力感と絶望感を、また味わわされるのはイヤだ。

もし、当時ブログなどでデマを拡散してしまって、それを訂正していない人がいたら、
お願いだから、いまからでも遅くないから、訂正してほしい。
ここで訂正できないようだと、またああいうことが起こった時に、
正しい情報とそうでない情報を、区別することができない。
「自分は間違った情報を信じてしまう可能性があるのだ」と、
自覚しておくべきじゃないか?
普段から、自分を疑っているくらいで、ちょうどいいのではないか・・・?

そして、ああいうパニック寸前の時に、
(いや、パニックと言っていいかもしれない)
どういう行動を取ったかで、その人の本当の姿が判る。

あの時の行動と、その後の行動を照らし合わせて、
私のように、人やブログの信頼性を、測る人がいる。
そういう見方をしている人は、決して少なくないと思うのだ・・・。

※追記
私はこの情報を知らせた「現地の人」を責めようとは全く思わない。
2か月も経った今、この出来事から学ぶべきは、
「デマが現実化する可能性があったんだ」ということよりも、
「そういった間違った情報が飛び交うくらいに、現地の情報環境は混乱していた」、
ということだと思う。
そしてこの情報はとてもショッキングだった。
物資が不足していた現地にパニックを起こしてもおかしくない情報だった。
情報が入る安全な地域にいて、それを発信する手段を持っていた私たちが、
当時、現地の人たちのためにするべきだったのは、
この情報を拡散することだったんだろうか。本当にそうなんだろうか。
「がんばろう日本」と叫ぶなら、こういうことから何を学ぶかを、
真剣に考えるべきだと思うのです。

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